大学在学中にラッパーとして活動しながら、卒業後はそのままリクルートへ入社。しかし、その2年半後には会社員を辞めてプロのラッパーとなり、ついにはメジャーデビューを果たしたという異色の経歴を持つKEN THE 390さん。
2011年にはメジャーレーベルを離れ、自身のレーベル兼マネジメント会社であるDREAM BOYを設立。現在はラッパーとして活動しながらラップにまつわるCMソングや作詞、そして自分以外のアーティストのマネジメントも行なうマルチな活動を見せている彼は、まさに「辞めることによって自分のキャリアを切り開いた人物」です。
今回はそんなKEN THE 390さんに、EXIT株式会社の代表を務める新野俊幸がお話を伺いました。
ラップを続けながらリクルートに就職。気持ちは「会社員をやっているラッパー」

新野
KEN THE 390さん(以下、KENさん)は大学卒業後に会社員になったんですよね。当時すでにラッパーとして活動されていたわけですけど、ラップだけで生活することは考えなかったのでしょうか?
KEN THE 390さん
大学3年生くらいまではラップでお金をもらったことが一度もなかったので、ラップで食っていくということにリアリティがなかったんです。
今でこそ日本語ラップブームといわれてますけど、当時は一度ヒップホップの人気が下火になった時期だったので。もちろん当時もすごく人気があったグループもいましたけど、そうした人たちと自分たちの世界は地続きだとは思えませんでした。
新野
就職先はリクルートと伺いましたが、なぜリクルートに?
KEN THE 390さん
大学3年生の頃はそもそも不勉強で大手企業しか知らなかったから、とりあえずリクナビに登録して良さそうな会社をピックアップしていくと大企業ばかりになったんですよね(笑)。
そこで就職活動をしていくうちに、リクルートの面接官がかっこよく見えたんです。だから業務内容というよりは人を見て決めたという感じですね。
新野
あるあるですね。実は自分もリクルート出身なんです。すぐ辞めちゃいましたけど(笑)。絶対に怒らないといわれていた初老の先輩を怒らせて、深夜の会議室で「殺すぞ」と真顔で言われたことがあります。
KEN THE 390さん
何したんですか(笑)。自分は環境的にかなり恵まれていた気がしますね。
一度、お昼頃に目が覚めたことがあって、「終わったな……」と思ったんですけど、電話してもそこまで怒られなかったんですよ。あとで隣の部署の部長にはしっかり怒られましたが(笑)。
ただ、仕事自体は大変でした。帰るのも遅かったですし。
新野
その頃もずっとラップは続けていたんですよね?
KEN THE 390さん
ずっとやっていました。会社員として仕事をして、23時頃に帰宅してから歌詞を書いていましたね。1日の最後はラッパーとして終わりたかったんです。
新野
なるほど、あくまでラッパーでいたかったんですね。
KEN THE 390さん
そうです。大学生の頃は自分のことを「大学生やってるラッパー」、会社員になってからは「会社員やってるラッパー」だと思っていて。
歌詞書いてから寝ないとただの「会社員」で終わっちゃう気がして。でも、それやっているとほとんど寝られなくて辛かったです。
大企業を辞めてラッパーへ。そのとき、迷いはあったのか?

新野
会社員とラッパーの両立は難しいと思いますが、退職しようと思った直接のきっかけは何ですか?
KEN THE 390さん
物理的に会社員とラッパーの両方をやれるほど自分に容量がないと思ったことですね。これ以上やると会社にも迷惑をかけそうだったし。
KEN THE 390さん
いや、ラッパーとして忙しくはあったけど、それでお金を稼いでいるわけではありませんでしたし、食っていけるかどうかは全然わかりませんでした。
新野
その状態でラップ1本に絞るのは勇気が必要ですよね。
KEN THE 390さん
とにかく「デイタイムを拘束されていると、これから先に音楽でできることが限られてくる」と思ったことも大きくて。だから1度音楽に全部リソースをつぎ込んで、空いた時間でバイトしてでもお金を稼いでいくほうがいいと思いました。
むしろ、ラップで食っていけるという実感を得られたのは割と最近のことですね。実際会社を辞めてから収入も激減して、しばらくはリクルート時代に貯めたお金を切り崩しながら生活していた感じだったので。
新野
不安のある状況だったと思いますが、周囲から「辞めて大丈夫なの?」みたいなネガティブな反応はありませんでしたか?
KEN THE 390さん
それはなかったですね。リクルートって独立する人も結構多いじゃないですか。だから辞めていく人を見届けるのも慣れてるんですよね。ただ、親にだけは「あんたさすがにそれはない」って言われましたけど。
新野
自分が会社を辞めて起業する際は絶対反対されるのがわかっていたんで、親には一切言わなかったですね。「NHK」に出演するまでバレませんでした(笑)。
KEN THE 390さん
自分は「定期的に言う作戦」で突破しました。実家に帰ると「辞めようと思ってるんだよね」と言っては反対され、また次に「そろそろ○月頃に辞めようと思ってるんだよね」と言って反対され、最後には「もう辞めるって上司に伝えたんだよね」と言って驚かれたっていう(笑)。

KEN THE 390さん
本気で心配してましたけどね。でもその後は「辞めたならもう応援するしかない」って言ってました(笑)。
新野
実際に会社をやめてラッパー1本になってみてどうでしたか?
KEN THE 390さん
いきなり毎日10何時間も時間ができるわけですから、だらけましたね(笑)。友だちの家に行って、ひたすらゲームやったりして(笑)。
サラリーマンのときは時間が限られているからこそ毎日歌詞を書いていたのに、ずっと時間があると「明日も時間あるし、明日でいいかな」って思っちゃって、逆にペースが落ちました。
新野
僕も一時期ニートだったのでよくわかります。時間が有り余って YouTube をひたすら見ていました。
KEN THE 390さん
1年くらいはずっとそんな感じでしたね。もちろん活動自体はしていたんですけど、ペースは落ちちゃって。
ただ運よくメジャーと契約したことで管理されたり、フリーとしての仕事の仕方が徐々にわかってきたりして、少しずつマシになりました。曲ができる前にスタジオを予約して、この日までに曲ができてないとスタジオ代が無駄になるような状況を自ら作ったり(笑)。
過去に戻れるとしたら、あの頃をやり直したいですね。「もっといろいろできた1年だったな」って思いますよ。
新野
そのときに「会社に戻りたい」とか「辞めたのミスったな」とは思いませんでしたか?
KEN THE 390さん
いや、それはないですね。でも、何年か経って同期が稼いでいるのを見て「悔しい」とか「不甲斐ない」とは思いました。「リクルートで30歳だったらこんな家には住んでないな」とか。
KEN THE 390さん
逆にそれがあってよかったですね。もしも同期じゃなく周りのラッパーに目線を合わせていたら、うまくいってなかったかもしれないと思います。当時のラッパーはほとんどみんな食えてなかったけど、自分はメジャーにいて一人暮らしできるくらいは稼いでいたので。
でも、そこで満足していたら本当に危険でしたね。リクルートの人の年収と比べたらものすごい差がありましたから。
メジャーを辞めて、独立。好きなことを仕事にする、そこに必要なのは責任だった

新野
KENさんは2014年に自身のレーベルでありマネジメントの会社である「DREAM BOY」を立ち上げたわけですが、メジャーを辞めてなぜ独立したんですか?
KEN THE 390さん
メジャーレーベルは商売なので、もちろん求められる売り上げの数字があるわけです。でも自分はそれを達成できていなくて、あとは規模を縮小させながら続けるか、それともリスクを取って自分のやりたいようにやるかという2択になったんです。
それなら自分の責任で自分がやりたいことを100%やりたいと思い、独立することにしました。
新野
メジャーレーベル時代、ストレスとかはありましたか? クリエイティブがコントロールされるようなイメージがあるんですが。
KEN THE 390さん
メジャーのときは音楽をやってきた中で一番ストレスがあった時期だったと思います。コントロールされるというほどではないんですけど、やっぱり商売だからマーケティング要素が入ってくるんですよ。
新野
なるほど、自分の聖域である音楽にマーケティング要素が入ってきた、と。
KEN THE 390さん
「シングルは恋愛曲で、失恋の曲がいいです」みたいなことを言われたり。今だったらその中でどうクリエイティブな歌詞を書くかを面白く考えることもできるけど、当時は言われた内容で歌詞を書くのがすごく嫌で……。
「アルバム曲は好きに作ってください」と言ってもらえるから、ほとんど好きにできてはいたんですけど、世の中にはシングル曲しか伝わらないから、どうしてもジレンマがありましたね。そういうときは「マジで辞めてえな。自分でやったほうがおもしれえな」って思ってました。
KEN THE 390さん
誰かのお金で音楽をやっているうちは、そりゃ人の話もある程度聞かないといけないですよね。言ってしまえば、赤字になったとしても金銭的な責任を負わないわけですから。「リスクを取る」ってそういうことなのかなと思います。
今は自分でレーベルを作って、そうしたお金のリスクも自分で負うことで好きなようにやっているという感じです。
辞める前に、自分にかかっている圧力が良いものなのか、悪いものなのかを見極める必要がある

新野
KENさんがラッパーを辞めるときは来ると思いますか?
KEN THE 390さん
それは来ないかな……。僕は大学生をしているラッパーだったし、会社員をしているラッパーだったし、今では会社も経営しているラッパーなんです。
最近役者の仕事も少しいただいているんですけど、もしラッパーの仕事が減って役者がメインになったとしても、それは役者をやってるラッパーという気持ちでいると思います。もちろん例えば、の話ですが。
新野
自分は仕事で、いろんな方からの退職相談を受けるんですが、KENさんは他のラッパーから「辞めようと思ってる」と相談されることはないですか?
KEN THE 390さん
「就職しようか迷ってる」と言われることはたくさんありますね。「迷ってるなら就職したほうがいいよ」って言っています。逆にラッパーに「会社を辞めようか迷ってます」と言われたら「迷ってるくらいなら辞めないほうがいいよ」と答えます。
KEN THE 390さん
直感で何かを決めるときって、うまくいくかどうかわからないけど、迷いはないんですよ。そこには後から考えると根拠があったりするんですけど、そのときは言語化できていないだけ。
だから、そういう直感的なフィーリングを得られてないってことは、そっちに進んでも多分上手くいかない。自分が辞めたのも最終的にはフィーリングでしたから。
それはラップに限らず「この職場が死ぬほど嫌だ」でも同じです。「でも、この職場のこういうところはいい」みたいに迷ってるなら、辞めないほうがいいと思います。
新野
なるほど。でも、他にやりたいことがあっても、そういう直感を得られている人は少ない気がします。いまいち踏ん切りがつかない、そういう人たちに伝えたいことはありますか?
KEN THE 390さん
仕事をするって、時間とかプレッシャーとかいろんな面ですごく負荷がかかることだと思います。ただ、圧がかかっていない状況で人間的成長はないとも思います。自分に課せられた責任に対するプレッシャーや、うまくいかないかもしれないという不安は、むしろプラスの圧なんじゃないかな。
自分の好きなことを本気でやったときのほうが、追い込まれることってむしろ多いんですよ。だから、そういう種類の圧に対しては、逃げないほうがいいと思います。
新野
成長のためには逃げずに立ち向かうことも必要だということですね。
KEN THE 390さん
その一方で、その圧がパワハラとかセクハラとか暴力の類だとしたら、迷わずに辞めたほうがいいですよね。自分の人生は一回しかないのに、そうしたものを我慢する耐性をつけてもしょうがない。
それに、そういう理不尽なことを強いられた我慢って、他人にも強いたくなるものなので。たまに自分も「俺も我慢したんだからお前も我慢しろ」ってつい言いそうになることがあって、それは何の生産性もないし、本当に良くないと思っています。
プラスの圧には逃げないほうがいいと思いますが、理不尽なことには耐える必要なんてないと思いますよ。
KEN THE 390
1981年生まれ。ラッパー。2006年にファーストアルバム「プロローグ」でデビュー。2008年にメジャー進出を果たし、2011年に自ら主宰する音楽レーベル「DREAM BOY」を設立。メジャーデビュー前はリクルートで会社員として働いていたという異色の経歴を持ち、活動スタイルを変えながらも常にシーンの第一線で活躍し続けている。
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