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丸山桂里奈|「チームを辞めたい」と言えず苦しんだ日々。「いまが一番幸せ」と自信を持って言える!

丸山桂里奈|「チームを辞めたい」と言えず苦しんだ日々。「いまが一番幸せ」と自信を持って言える!

元サッカー日本女子代表として2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝に貢献し、オリンピックにも3度出場している丸山桂里奈さん。

2016年に現役を引退してからは、タレントとしてテレビで見ない日はないほどの活躍ぶり。バラエティ番組ではぶっちゃけキャラのイメージが強くありますが、実は現役時代、「辞めたい」と言えずに苦労したそう。現役を引退し劇的な「転職」を果たした今、当時を振り返っていただきました。

仕事は辞めたい、サッカーは辞めたくない。板挟みの日々に苦しんだ

――丸山さんは2016年に現役を引退されるまで、3度チームを移籍されていますよね? 移籍したいと思えば自由にできるものなんですか?

丸山さん

全然そんなことないですよ! 当時の女子のサッカーってあまり移籍する人が多くなかったので、移籍したくても言いづらい雰囲気だったんですよね。伝えに行くのが怖いんですよ。ほら、どんな集団にもどっしり構えてる怖い人っているじゃないですか? いません!? いますよね!

――そ、そうですね、いますね。では、丸山さんが移籍したときにも大変な経験をされたのでしょうか?

丸山さん

はい、最初に所属したのは東京電力のチームだったんですけど、そのときもいろいろありました。私、福島第一原子力発電所で仕事をしながらサッカーをしていたんです。

所長にも可愛がっていただいて楽しく働いていたんですが、ある日突然、広野火力発電所に異動となって、来所した外国人にガイドする仕事をすることになったんですよ。

――サッカーで入社していても、異動があるんですね。

丸山さん

私も驚きました。異動した先の仕事が自分にはとてもしんどくて、だんだん仕事が辛くなってしまい、会社に行かなくなっちゃったんです。

でもサッカーはやりたかったから、練習には出ていました。そうしたら当然ですけど、火力発電所のチームメイトからいろいろ言われちゃうんですよね。

――仕事せずにサッカーばかりしている、と?

丸山さん

そう! そもそもサッカーで入社したのに、ですよ! 会社にはもう行きたくなくなってましたし、もともとアメリカのリーグに行ってみたいって思っていたので、「会社を辞めます」って伝えたんです。

――そこで辞めてアメリカに行ったんですか?

丸山さん

いや、会社の人から「会社は辞めてもいいから、プロとしてチームに残ってくれ」って言っていただきました。ありがたかったんですが、やっぱり他のみんなは仕事をしながらサッカーをしているから「あいつだけ働かずにサッカーばかりやってる」という声が聞こえてくるようになって。

――ひがみのようなものでしょうか……。アスリートの世界にはそういうことはあまりないと思っていました。

丸山さん

私の場合、その後タイミングが悪く怪我をして、リハビリのため東京に通っていたら「あいつは福島を捨てて東京に帰った」というようなことを言われたりして……。さすがにもう居づらくなってしまって、福島に帰らずに辞めちゃいました。

――フェードアウトしたんですか? 失礼ながら、丸山さんは「思ったことを何でも言う人」という印象があったので、そこまで辞めるのに苦労していたとは意外です。

丸山さん

チームメイトとか会社の方とか、チームにお金を出してくれている方とか、いろんな人が関わってくる問題なので、簡単な話ではなかったですね。

自分には会社員として仕事をするのは向いていないかもと感じました。だって自分が言いたいことを飲み込んだしりて、いろんなこと気にして生きていかなきゃいけないと思うと、自分らしくないなって思いません? 思いますよね!?

アメリカでのドライな関係性のほうがいい。辞めるときのコツは「あえて距離をとること」

丸山桂里奈

――その後、念願のアメリカに渡ったわけですね。アメリカは、日本であったようなしがらみなどは少ないようなイメージがありますが、いかがでしたか?

丸山さん

そのイメージ通りでしたよ。すごくドライでしたね。すべての責任を自分で持たなきゃいけない分、しがらみがない。

――でも、そのアメリカのチームも辞める決断をしたわけですよね?

丸山さん

最初から1年契約だったんです。私こう見えて……っていうか見たまんま、英語ができなくて。「コミュニケーションが取れないと、いくらサッカーがうまくても使えない」と言われて、大きな挫折を味わいました。

――確かに、チームの戦術が理解できないと難しいですもんね。

丸山さん

私、それまで試合に出るのが当たり前だったから、試合に出られない人の気持ちを考えたことがなかったんです。

アメリカでの経験を経て、試合に出ていない人への接し方も変わったと思うので結果的には良い経験だったと思っています。

――帰国後は、「ジェフユナイテッド市原・千葉レディース」に所属している間にワールドカップ優勝を経験されていますよね。

丸山さん

でもこのときのチームもいろいろありまして……。

――なにが問題だったんですか?

丸山さん

私、ワールドカップ優勝の2ヵ月後に膝をケガしたんです。チームのトレーナーさんとマンツーマンでリハビリをしていたんですが、そのトレーナーさんが監督と私のことを話す中で、いろいろと食い違いがありました。

「丸山が試合に出たくないって言ってます」というふうに、監督に誤解されて伝わってしまっていたようで、私はそんなことを言ったつもりはなかったのですが……。

――丸山さんの身体を気遣ってのことだったのでしょうか……。それにしても釈然としませんね。

丸山さん

なんでだったのかな……。

監督に呼び出されて叱られましたけど、トレーナーさんとの関係が悪化すると思うと「そんなこと言ってないです」ともなかなか言えなくて。そのときに環境を変えたいと思ったんですが、どうしても監督に言いづらくて、半年くらいはそのまま所属していました。

――それでも辞めようと思ったきっかけがあったんですか?

丸山さん

食い違いの件などがあってトレーナーさんとの関係がギクシャクしていたときに、ちょうどオリンピック参加選手のメディカルチェックがあって、国立スポーツ科学センターに行ったんです。そこで「この施設でリハビリしたら集中的に治せますよ」と指導されたんですね。

でも、所属チームのトレーナーさんに伝えたら「自分のチームでリハビリしてもらいたい」と言われて。

――トレーナーさんの気持ちはうれしかったと思いますが、話の食い違いもありましたしね。

丸山さん

ケガをしている最中だったから次の所属も全く決まっていなかったんですが、ロンドンオリンピックに出場するために集中して治療をしてもらって1日でも早く復活したいという思いを優先して辞めることにしました。

――そのときはどのようにして辞めたんですか?

丸山さん

電話で伝えました。いつもは鬼のように怖い監督から泣いて引き止められ、かなり動揺してしまいました。ある程度の距離を置きつつ辞めないと、辞められなくなっちゃいますよね。

Twitterでぽろっとこぼした言葉が引退の決意につながった

丸山桂里奈

――現役引退は、移籍とはまた違った大きな決断だと思いますが、どのように決意されたんでしょうか?

丸山さん

膝のケガ以降は、毎年「いつまでできるんだろう」と考えながらサッカーをやっていました。そんなとき、ずっと一緒にやってきた澤(穂希)さんが引退されたんです。

まだまだやれそうな澤さんがここで踏ん切りをつけられたということで、私も悔いの残らないプレーを心がけようという思いになって、つい「私も今年を最後の年にします!!今年一年、全部出し切ります」ってTwitterに書いちゃったんですよ。

――事前に誰かに相談したわけではなく?

丸山さん

はい(笑)。実は辞めると宣言したかったわけじゃなく、「完全燃焼で精一杯頑張ろう」という気持ちのほうが強かったんですけど、そのツイートがYahoo!ニュースに取り上げられてしまって……。チームにもスポンサーさんにもすっごく怒られました(笑)。

――それって丸山さんにとっても不本意な引退だったのではないでしょうか?

丸山さん

でも、こういったきっかけがなければ辞める決意もなかなかできなかったと思うから、結果的には良かったかなと思います。もちろん、さびしい気持ちもあるし、本当に辞めていいのかな、というのは2、3日考えましたけど。

――2、3日だけ……ですか。もちろん、引き止められたりしたんですよね?

丸山さん

いや、実はそんなことなくて。最後にいたチームは経営危機でお給料も払われていなかったんだけど、すごくいいチームでしたし、監督もすごくいい人だったんです。だからその監督がいる限りは頑張ろうとも考えました。

でも私が辞める騒動を起こしたとき、監督に「俺も今年でこのチーム辞めるよ」って言われて(笑)。

――そうなんですか。でもまあ、チームがそういう状況なら仕方ないかもしれませんね。では、振り返ってみても、いいタイミングで引退できたと。

丸山さん

むしろ、もうちょっと早く辞めても良かったかもって思ってます。私、本当にサッカーしかしてこなかったので、勉強もできないし、一般常識も知らないし……。

サッカーの現役引退後の人生について早く考えないとって思ってたんですよね。世の中には「ご飯のテイクアウトっていうのがあるんだ」とか、そのレベルですよ(笑)。

――「テイクアウト」を知らなかったということですか?

丸山さん

現役時代は食べるものがすべて決まっていたから、コンビニにさえほとんどいったことがなかった。全部自炊で、他人が作ったものは信用できないとさえ思っていたんです。でもいざ牛丼屋さんでテイクアウトして食べてみたら、「こんなにおいしいものがあるんだ」って。おさえつけられていたものが何もなくなった感覚です。

――そこまでストイックに自己管理をされていたんですか。でも、牛丼も食べられないなんて大変ですね。

丸山さん

ですよね(笑)。もちろん好きでサッカーはやっていたし、サッカーとは絶対に切っても切れない人生です。でもやっぱり大変なこともたくさんあって、サッカーを純粋に楽しんでプレーしていたのかというと、始めた頃を超えられないかなと思います。

ワールドカップ優勝とか、他の人には経験できないようなことをたくさん経験させてもらったけど、いつが幸せかって聞かれたら、今が一番幸せって答えます。

丸山桂里奈

――タレントに転向して、大変なことはありませんか?

丸山さん

ないです。たとえばドッキリにかけられても、「私のドッキリのために、こんなたくさんの人がここまで大掛かりな仕掛けを作ってくれるなんて……」と思っちゃう。

あと私、よく話が通じないとか言われるんですけど、番組の収録でうまくかみ合わなかったときは周りの共演者の方が「今のはこういうことだよね」と説明してくれたり、笑いに変えてくれたりとサポートしてくれる。周りの方に助けていただいてるなって感じることばかりです。

――みんなで作り上げていくことが楽しいと感じられているんですね。

丸山さん

そうですね。

――でも、比較的言いたいことは言えるタイプの丸山さんでさえ、「辞めること」を言い出しづらかったというのは驚きでした。その上で、三度の移籍と大きなキャリアチェンジをした丸山さんだからこそ言えるアドバイスを、「辞めたくても辞められない人たち」にお願いします。

丸山さん

我慢するくらいだったら、すぐに辞めるべきだと思います。それこそ「EXIT」に相談とかしたらいいんじゃないかな(笑)。親には心配をかけるし、友だちは別の悩みを抱えていたりして、なかなか相談できないものなんですよね。

本当は我慢せずいつでもすっと言える社会にならなきゃいけないんだけど、そうすぐに変わるものでもない。我慢している時間って本当にもったいないから、思い立ったら少しでも早く、自分らしくいられて自分が輝ける場所に行ったほうがいいと思います。

 

丸山桂里奈(まるやま・かりな)
1983年、東京都生まれ。小学高6年生でサッカーを始め、中学生で読売日本サッカークラブ女子メニーナ(現:日テレ・メニーナ)に所属。大学在学中に女子サッカー日本代表に選出される。05年、東京電力女子サッカー部マリーゼ入団、10年にはアメリカのフィラデルフィア・インデペンデンス、ジェフユナイテッド市原・千葉レディース、12年にスペランツァFC大阪高槻に移籍。16年に引退。現役時代はオリンピックに3度、FIFA女子ワールドカップに2度出場、11年FIFA女子ワールドカップドイツ大会では準々決勝でゴールを決めるなど優勝に貢献。現在はバラエティ番組を中心にタレントとして活躍している。

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