特集 特集

亀田興毅|最初から引退時期は決めていた。ボクシングに恩返しするために新たな道を行く。

亀田興毅|最初から引退時期は決めていた。ボクシングに恩返しするために新たな道を行く。

亀田3兄弟の長兄としてメディアから高い注目を集めた亀田興毅さん。2010年には国内史上初となる世界3階級制覇を達成し、日本のボクシング史にその名を刻んだのは誰もが知るところです。

亀田さんは2015年に一度引退したものの、2018年初頭に現役復帰。同年5月の試合では衰えを感じさせないその実力を見せつけ再び大きな話題を呼びながらも、11月には二度目の現役引退を発表し、選手人生を終わらせることに。

今回は、EXIT株式会社の代表でありボクシングの経験もある岡崎雄一郎が、亀田さんの引退理由、ネクストキャリアについてお話を伺いました。

最初から「3階級制覇して30歳で引退」が目標だった

亀田興毅

岡崎

亀田さんがボクシングを始めたのはいつのことなのでしょうか?

亀田さん

小学校6年生のときですね。もともと親父の頭の中では、3兄弟をボクシングの世界チャンピオンにすると決めていたみたいで、4歳の頃からボクシングにも役立つと考えて空手をやらされていました。

岡崎

空手を辞めてボクシングをやるということには亀田さんも納得していたんですか?

亀田さん

親父がわかりやすくボクシングの魅力を話してくれて、それにうまく乗せられたんですよね(笑)。

今でこそK-1みたいに空手の延長線上にある格闘技もありますけど、当時は空手じゃお金にはならへんし、マイク・タイソンのファイトマネーとか海外の事例を出して「ボクシングなら稼げるぞ」と。

岡崎

うまいプレゼンですね。

亀田さん

勉強もまともにしてなかったし、「外で喧嘩したら逮捕されるけど、リングの上なら賞賛されるしファイトマネーももらえるんやぞ」と乗せられて。そこからはもう家族全員で世界チャンピオンを目指して取り組んできましたね。

岡崎

そして、世界チャンピオンになったのは……。

亀田さん

19歳です。17歳でデビューして、2年半くらいで世界チャンピオンになりました。

岡崎

かなり早い段階で世界チャンピオンになったので、周囲の変化もあったのではないかと思いますが。

亀田さん

バッシングされたりとか、周りからいろいろ言われたりとかはありましたけど、自分自身はブレることはなかったですね。

岡崎

それでもブレなかったんですか。

亀田さん

目標がしっかりと決まっていたので、やることは変わらないんですよ。世界チャンピオンになって、日本人で誰もやったことのない3階級制覇をして、30歳までに引退をする。それはもう自分の中で決まっていたんです。

予定よりも2年早い引退。その裏にあった「人生で最も苦しかった時期」

亀田興毅

岡崎

「30歳までで引退」と最初から決めていたのは驚きです。

亀田さん

ダラダラやっても仕方ないので、そこはもう最初に決めていました。結果的に28歳に引退しましたけど。

岡崎

それまでに「辞めたい」と思ったことはありませんでしたか?

亀田さん

何回もありますよ。特にボクシングを始めた頃とかは。でも辞められる状況じゃないですよね。親父にそんなこと言ったらしばかれるし(笑)。

岡崎

もしお父さんがそのときに優しかったら辞めてたかもしれないですか?

亀田さん

辞めたとしても他に何もできないので「これをやるしかない」という感じでしたね。

岡崎

同級生が就職してるのを見たりしても、就職するということは考えたりしませんでした?

亀田さん

就職して稼げる額を計算した上で、ボクシングやってるほうが稼げると思ったので(笑)。そして引退後のセカンドキャリアが凄く大事なので、まずはしっかりとボクシングで稼いでそれを元手としたいと思っていました。

岡崎

30歳の予定より早く28歳で引退したわけですが、そこには3階級制覇によって目標をやりきったという気持ちがあったのでしょうか?

亀田さん

一応「3階級」と言っていたんですけど、自分としては5階級制覇が最大の目標やったんですよ。25歳までに3階級制覇を達成して、30歳までは挑戦できるところまで挑戦したかった。

でも、ライセンスを停止されたりして日本で試合ができなくなって、そこにはたどり着けませんでした。

岡崎

所属ジムがライセンス更新できずに日本での活動ができなかったときは大変だったのではないかと思います。

亀田さん

大変でしたね。全く自分らと関係のないところであることないこと言われて、組織から潰されたようなものですから。

こっちはただ純粋にボクシングだけやっていたいのに、活動の場を奪われて経済的にも苦しくなって……。あのときが一番苦しかったですね。

岡崎

1回目の引退はやはり日本での活動ができなかったことがきっかけだったのでしょうか?

亀田さん

正直なところ、引退せざるを得ない状況でしたね。

ボクシングが好きだから続けようと思っても、ファイトマネーがほとんど出ない海外で試合するしかない状況で。でも海外に行くとなると飛行機代やホテル代がかかるじゃないですか。これはもう続けるのは無理だなと思って引退を決意しました。

岡崎

引退するときはお父さんに相談したり……。

亀田さん

いや、誰にも相談してないです。

岡崎

周りから引き止められたりはしませんでしたか?

亀田さん

それはみんなに言われましたよ。「まだまだできるのに」って。そりゃそうですよね、28歳やから。でも「じゃあ試合できる環境作って」って思ってました。

復帰、そして二度目の引退について

亀田興毅

岡崎

その後2018年に復帰されていますが、その理由は?

亀田さん

やっぱり「まだできる」っていう気持ちがあったんですよね。中途半端な状態で終わってしまっていたので、最後に日本でもう一回だけリングに上がりたかった。ちゃんとした引退試合をしたいと思ったのがきっかけでした。

岡崎

実際は引退試合ということにはなりませんでしたよね?

亀田さん

2年ちょっとのブランクがあったのに、3カ月程度のトレーニングで現役の頃のよりも良いくらいの状況になって、まだまだ強くなるなと思ったんです。最後にもう一人だけ試合がしたい選手がいたこともあって、引退を撤回しました。

でも結局その選手とは試合ができないってことで去年の11月に正式に引退したんです。

岡崎

では、今後「もう一回やってみよう」ということは……?

亀田さん

ないですね。

「二度あることは三度ある」とか言って、調子に乗ってやるかもしれないですけどね(笑)。

岡崎

(笑)。

亀田さん

でも、今のところはもう全く考えてないです。今32歳で年齢も年齢だし、やるなら今くらいから動き出しておかないと無理なので、まあないでしょうね(笑)。

ボクシングを再びメジャースポーツにすることが恩返し

亀田興毅

岡崎

現役を引退されて現在はどんな活動をしているのでしょうか?

亀田さん

ボクシングのおかげで今の亀田興毅があると思うので、ボクシングに少しでも恩返ししたいと思い、ボクシングビジネスに関わっています。

その一環として自分が所属していた協栄ジムの立て直しに取り掛かっていたり、TFC(東京ファイトクラブ)というイベントを立ち上げてイベントプロデューサーとして仕事をしたりしています。

岡崎

ボクシングの現状についてまだまだ課題がある、と。

亀田さん

そうですね。日本ではボクシングがマイナースポーツになりかけてしまっているので、もう一回メジャースポーツにしたいんです。

自分も現役時は世界チャンピオンやったけど、引退してひとりの人間として考えたらまだまだ下っ端なんです。なので、できることに限度がある。そこで今の自分に何ができるのかと考えて、まだ残っている知名度を最大限に使って業界を盛り上げたいと思っています。

岡崎

日本と海外ではボクシングを取り巻く環境に差がついているんですね。

亀田さん

日本では興行がどんどん減っていて、赤字興行が多い状況です。でも興行がなくなったら選手は試合をする場所がない。そうなると海外で試合するしかないんですよね。

そうした興行不足を解決しようとTFCを立ち上げ、去年は試験的に3回開催しました。2019年は4回開催したいと思っています。今はTFCのブランディングをしていて、選手はTFCのリングに上がりたい、お客さんはTFCというイベントを見に行きたい、というものを作れればいいなと。

自分が辞めることが「会社にとってもプラスになるかもしれない」という発想

亀田興毅

岡崎

亀田さんは自分の意思で現役を引退して新しい道を歩んだわけですが、会社を辞めたいのに辞められない人たちに対してはどうアドバイスしますか?

亀田さん

環境を変えるときって、それまでの関係性もあるし言いにくいものだと思います。でも、自分自身で新しい道を切り開かないとそこから先は難しいんですよ。

でも、自分で決めて「辞める!」って一歩踏み出せば、その後には「こんな小さいことで悩んでいたのか」って気がつく。そこで頑張れば精神的にもタフになるし、伸びていけますよね。

岡崎

亀田さんもなかなか伝えられないという経験をされたことはありますか?

亀田さん

自分も小さい頃、謝らないといけないっていうときになかなか謝れなかったことがありますね。「悪いことしたから謝らないといけない。でもどうしよう」って。でも、そこで1日とか2日経ってしまうと、相手からしたら「あいつなんやねん」ってことになってしまうんですよ。

岡崎

そういうことはよくありますね。

亀田さん

何か違うことをしたくて辞めるんだから、大きくなるためには必要なこと。自分自身との闘いじゃないですか? 自分が強くなっていくために一歩踏み出して「お世話になりました!」と言うしかないんです。

ボクシングでも同じ。カウンターを食らう可能性がある上で、あと10センチ踏み込んで相手を倒しにいけるかかどうかなんですよ。

岡崎

ボクサーから「辞めたい」という相談を受けることはあるんでしょうか?

亀田さん

たくさんありますね。ボクサーだと「ジムを移籍したいけどできない」っていう人が多いんです。でも、ボクシングやってるやつって純粋で、世界チャンピオンになるってことしか見てないんですよ。だからトレーナーやジムに恩義があって、辞めたいと言い出せない。

それにボクシング界って「これを言ったら会長に怒られる」とか「ジムに潰される」とかそういう不安があって移籍が難しい業界なんです。もっと透明性ある業界にしたいと思って自分も頑張っているんですけど。

岡崎

そういう後輩ボクサーに対してどのようなアドバイスをしていますか?

亀田さん

ジムに恩義を感じながらも、辞める理由としては「ジムがファイトマネーをちゃんとくれない」とかそういうものだったりするんですよね。それはジムがちゃんと支払っていたり、良い体制を作っていれば問題ないことじゃないですか。

移籍されてしまうってことはそのジムに実力がないだけなんです。だから、辞めることによって逆にジムが良くなるきっかけになるかもしれないという考え方は伝えています。

岡崎

なるほど、それはボクサーだけじゃなく会社員にも当てはまりそうですね。

亀田さん

会社でも同じだと思います。転職されるってことは会社に魅力がなかったり問題があったりするということやから。自分が辞めると言い出すことが、会社に対してもプラスになるという考えを持つのもひとつの手だと思います。

「辞めます」と言うことによって起こるマイナスのことばかり考えがちだけど、プラスの面を考えて辞めるというのは全然ありじゃないですかね。

岡崎

もし、ジムにEXITから「ボクサーの○○さんが移籍したいと言っているんですが」と連絡があったら……。

亀田さん

もちろんそれはちゃんと話を聞きますよ。どういうところに不満を持ったんですか? なるほどそれはジム側の責任ですね、と。

今後そういうこともあるかもしれんし、しっかり管理体制を整えないとだめですね(笑)。

亀田興毅

亀田興毅
1986年、大阪府生まれ。亀田三兄弟の長男として2003年12月21日にプロデビュー。2010年には国内史上初となる世界3階級制覇を達成し、2015年に現役引退。2018年に復帰を果たし、同年11月に2度目の引退を発表。現在は日本におけるボクシングの地位向上を目指し、ボクシングビジネスに関わっている。

◎EXIT −退職代行サービス−とは?

EXIT株式会社が提供するサービスで、「辞めさせてもらえない」「会社と連絡を取りたくない」などの退職におけるさまざまな問題に合わせ、退職に関する連絡を代行してくれる。相談当日から即日対応が可能で、 会社との連絡は不要。離職票や源泉徴収票の発行確認など、退職後のフォローも行ってくれる。

退職代行サービス「EXIT」