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倉持明日香|アイドルを辞めたのは、楽しいだけでは足りなかったから。「今」という瞬間をチャレンジすることに賭けてみたい!

倉持明日香|アイドルを辞めたのは、楽しいだけでは足りなかったから。「今」という瞬間をチャレンジすることに賭けてみたい!

最終更新日 2019年1月15日

「会社を辞めたい!」。そう思っても、「自分には忍耐が足りないんじゃないか」と自分を責めたり、「周りに迷惑をかけてしまう」と心配したり……。そんなふうに、会社を辞めることをネガティブに捉え、辞めたくても辞められない状況に陥っている人も多いのではないでしょうか。

しかし、会社という「組織」を離れ、新たな一歩を踏み出すことで、成長するチャンスを掴めることがあります。この特集では何かを辞めて新しい事に挑戦している有名人にフォーカスを当てます。

今回は、会社と同じくひとつの集団であり組織であるアイドルグループ「AKB48」を卒業して、現在はスポーツキャスターの仕事をメインに活躍されている倉持明日香さんに、AKB48を辞めたときのこと、これからのことについて伺いました。

辞めることへの不安はゼロじゃない。それでも、新しく見つけた「次のステージ」に立ってみたかった

--倉持さんは2015年8月にAKB48を卒業されていますが、いつごろから卒業を意識していましたか?

倉持さん

AKB48に所属して6年目の2013年ごろからです。当時の私は「グループに在籍する居心地のよさ」と「これから成長できるかどうか」が自分のなかでつながっていない状態でした。

AKB48というグループでの活動は楽しくて、充実していました。長年在籍していたこともあり、できないことや知らないことがほとんどなくて、後輩やスタッフさんがいろいろな場面で私の存在を頼ってくれていました。けれど、注意されることが減るにつれて、だんだんと不安な気持ちが膨らんできたんです。

--どうして不安になったのでしょうか。

倉持さん

注意されない理由が「求められることができているから」なのか、それとも「最年長メンバーのひとりだから」なのか、自分ではわからなかったからです。私はAKB48のなかで、できないことを注意されて、それを乗り越えることで成長してきた実感があります。けれど注意されないことで、その「乗り越えるべきもの」がわからなくなりそうだった。そう感じたとき、「いつまでも居心地のいい場所に居続けるだけではいけない。自分から何かアクションを起こさないと成長できない」こと気付いたんです。

--勢いのあるAKB48を卒業することの不安はなかったんですか?

倉持さん

不安がなかったと言ったら嘘になります。「AKB48」の看板がなくなったとき、私個人に仕事を頼みたいと思ってくださる方がいる保証はどこにもありません。それまでの人生で大きな決断をしてこなかったこともあり、AKB48に入るときよりも、辞めるときのほうが強い決意が必要でした。

ただ、そのときに「何をステップアップと捉えるのか」が大事なのだと思い至りました。人によっては、「有名なグループで名前を知ってもらう」ことをステップアップだと考える人もいれば、「厳しい環境のなかで新しい仕事にチャレンジする」ことをステップアップだと考える人もいるでしょう。

--倉持さんは、あえて厳しい環境に飛び込むことがステップアップになると考えた?

倉持さん

そうですね。卒業を発表したとき、「卒業するのはもったいない」と言ってくださる方もいました。その意見に流されそうになった自分もいます。けれど、人生のなかで「今」という時間は、この瞬間しかないじゃないですか。そのなかで私は、「自分が楽しいと感じる仕事」よりも「喜んでくれる人がもっと増えるような仕事」にチャレンジしてみたくなったんです。

辞めたあとの成功を決めるのは「進むべきタイミング」で踏み出せるかどうか

--2013年に卒業を意識しはじめて、2015年まで卒業しなかったのはなぜでしょうか?

倉持さん

2015年に卒業することになったのは、自分のなかで「卒業するのにベストなタイミング」を待っていたからです。何かをはじめるとき、私はタイミングを大切にしています。全てをやりきって、次のステップに進めるタイミングを掴んだときに、トントン拍子で物事がうまくいくものだと思っているんです。

そのタイミングを待っていなければ、2014年2月に行われた「AKB48内のチームメンバーを再編成するイベント」のあとに、私はAKB48から卒業するはずでした。

--もともとはそのタイミングで卒業する予定だったということですか?

倉持さん

はい、私のなかでは「AKB48で自分は成長しきった」という感覚があったんです。そのイベントの前まで、大島優子ちゃん率いる「チームK」に所属していた私は、優子ちゃんが不在のときにはチームをまとめる役割を任されていて、歌やダンスだけではなく、チームをまとめることも経験させていただきました。チームメンバーの再編成が行われると聞いたとき、「自分はこのままチームKに残るはずだから、自分を出し切ったAKB48を卒業して、ステップアップできる道に進もう」と考えていたんです。

--けれど、そのイベントで卒業にストップがかかるようなことが起こった?

倉持さん

そうなんです。「チームBのキャプテン」として自分の名前が呼ばれたんです。考えてもいませんでした。そしてチームBの子たちが「倉持さんのチームになれて楽しみです」と言ってくれた。その言葉を聞いたとき、「これは卒業できない」と感じました。それに、「まだAKB48でやり残したことがあるから、私はキャプテンに選ばれたのだろう。今はまだ辞めるタイミングじゃない」と思ったので、いったん卒業は見送ることにしました。

--実際に卒業されたときは、どんな経緯があったんですか?

倉持さん

握手会などのスケジュールを立てる都合があるので、AKB48の総合プロデューサーである秋元 康先生には2014年の夏ごろに「卒業する意思がある」こと伝えました。そのとき、秋元先生から「倉持のビジョン(未来像)は見えているのか?」と言われたんです。その言葉をかけられて、「卒業したいと言ったけど、私のビジョンはまだ定まっていない」と気付きました。それから1〜2か月間は、自分のなかで卒業後のビジョンについて自問自答する日々が続きましたね。

--その結果、どんなビジョンが見えたんですか?

倉持さん

スポーツキャスターにチャレンジすることです。あのとき、もし自分のなかでのビジョンがブレている状態であれば、卒業する意味はなかったと思います。8年間お世話になったAKB48から卒業する立場として、後輩にも何かを残せる人でいなければいけなかったからです。チャレンジしてみたい仕事を見つけられたのも、いろいろな仕事にチャレンジできるAKB48のなかで、8年間活動させていただいたおかげなんです。

AKB48を卒業したからこそ、次に乗り越えるべき壁が見えた

--そもそも、AKB48のオーディションを受けた理由はなんだったんですか?

倉持さん

17歳のときに「テレビに出る人になりたい」と思い、AKB48のオーディションを受けました。ただ、AKB48に入ろうと思ったのは、アイドルになりたいというよりも、「将来はこれで芸能活動をしていきたい」と思える仕事を見つけるためです。AKB48に入ったときは、芸能界で生き残るスキルを何も身につけていない、本当に普通の女子高生でした。

むしろ、子供のときから恥ずかしがり屋で、大勢の前で話すことが苦手だったので、アイドルには向いていない性格だと思います。AKB48時代は、人前で話すライブ中のMCがいちばん苦手だったほどです。

--それなのに、どうしてスポーツキャスターという「言葉で伝える仕事」を目指そうと思ったんですか?

倉持さん

きっかけは、AKB48での活動で「自分の好きなスポーツを共有できる楽しさ」を知ったことです。私はAKB48に入る前から、プロレスや野球などのスポーツを観ることは大好きでしたが、その「好き」を自分の言葉でうまく伝えられる自信がなかったんです。

けれど2007年12月に、大ファンの小橋建太さん(プロレスラー、現在は引退)が癌の手術に成功して復帰されたことがあまりにもうれしくて、気づいたらその喜びをMCで興奮しながら話していました。そのことにプロレスファンの方が反応してくれたんです。「好きなものについて熱を持って伝えることができれば、気持ちは伝わる」と気づき、苦手だった「言葉で伝える」ことにも魅力を感じるようになりました。

--アイドルを卒業してスポーツキャスターになった今、気付いたことはありますか?

倉持さん

好きなことを仕事にする難しさを日々、痛感しています。今の仕事をはじめたばかりのとき、知らないジャンルのスポーツについては詳しく話せなかったんです。AKB48時代は、機械的に仕事をするイメージのある「仕事をこなす」という言葉が苦手でしたが、いざスポーツキャスターになってみたら、仕事をこなすことさえもできていない自分がいた。そのことに愕然として、「すべてのスポーツにきちんと向き合わなければいけない」と反省しました。

今では、何が会話のきっかけになるかわからないので、「知っていれば損はない」とあらゆるスポーツの情報と向き合うようにしています。スポーツへの向き合い方が変わったのも、AKB48を卒業したからこそです。

--最後に、これから退職をしようと考えている人にメッセージをお願いします。

倉持さん

会社を辞めようと考えたとき、「この年齢だから◯◯ができなければ」などと自分で自分を縛り付けている人が多いかもしれません。けれど、自分を強く縛り付ける必要はないと思います。

私はAKB48のなかで8年間過ごしてきて、後輩のみんなのお手本となるように、「何でもできる倉持明日香」でいなければいけないと思っていました。25歳でAKB48を卒業したあとも、そのイメージを持ったままでしたが、あるスタッフさんから「卒業して1年目なんて、いっぱい失敗できるよ」と言われて肩の荷が下りたことを覚えています。

それに、「何かするときに年齢なんて関係ない」とよく言われますが、本当にそうだと思います。何かをはじめるために何歳で会社を辞めたとしても、長い人生のなかでは遅くないはずです。

 

倉持 明日香(くらもち・あすか)
1989年9月11日生まれ、神奈川県出身。ワタナベエンターテインメント所属。AKB48元メンバーで、チームBのキャプテンを務めた。現在、スカパー!プロ野球PRアンバサダー。TBS「ひるおび」お天気コーナー、BSスカパー!「プロ野球ワイド2018」、AmazonプライムTV「有田と週刊プロレスと3」、Radio NEO「MUSIC GARAGE from NTP-ark」等にレギュラー出演中。父は元プロ野球投手で、野球解説者の倉持明。野球のみならず、プロレスの熱烈なファンとしても知られる。

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