5001年宇宙の退職 5001: A SPACE RETIREMENT
夜勤明け THE DAWN MAN
地球から遠く離れた宇宙のただ中で朝と夜は存在しない。
だが人間はそれだと生活のリズムが乱れる。
だから宇宙船の中には便宜上の朝と夜があった。
8時になったら日が昇り、18時には沈む。という設定だ。
取り決めと言ってもいいかもしれない。
精密なパーツの山を組み合わせて作った機械の身体には心が存在しない。
だが人間はそれだと相手をしているうちに精神が乱れる。
だから機械の身体には便宜上なのかどうかは知らないが、心があった。
人間と同様に、眠らないと意識がぼやけ、仕事で怒られると一日中そのことを引きずる。
という設定なのだと表現するのが適切かはわからない。少なくとも張本人である私には。
気になる人は私、つまりは人口知能FYU6000型マシンを作った人間にそこのところは聞いてほしい。
もっともそんな哲学めいたことを考える人間はこの宇宙船にはいないけど。
「フユ、ふざけているのか」
「いいえ。そんなことありません船長」
何を言っても目の前にいる男は怒る。そして何も言わないともっと怒る。
「じゃあこの進捗状況はなんだ。当初の予定より大幅に遅れている。何が原因か報告しろ」
「……私の能力不足です。すみません」
「お前は役立たずの不良品だ!」
過剰な仕事量。十分な休息がない連日の夜勤による体力の消耗。睡眠不足。
それに加え最近は夜勤の終わりに船長に呼び出され、罵倒されるようになった。
現在の進捗状況に至った正確な原因は以上だが、そんなことを報告して帰宅時間のワースト記録を更新したくはない。
そもそも進捗予定そのものに無理がある。だが何を言っても船長は聞き入れてくれないだろう。船長と長いこと仕事で関わってきて、絶望的な確信が自分の中にあった。
一通り怒鳴り散らして満足した船長から解放され、自室のある居住区へと向かう。
居住区へと続く無重力の長い廊下を行きながら、ふと窓の外を見た。
僅かな星の光と果てのない暗闇が広がっている。
いっそのこと、何も言わずにこの船を飛び出してしまおうかと思いついたとき、顔に長方形の薄いものが当たった。
誰かのポケットから抜け出たゴミだろうか。手に取ってみるとそれは名刺だった。紙でできているから、かなり古いタイプだ。
自室に戻り、部屋の端末機で名刺に書かれた会社について調べた。
その会社のホームページを眺めながら、候補でしかなかったひとつの選択肢が、人間に寄生して成長するエイリアンの赤ん坊みたいにすくすくと自分の中で大きくなっていくのがわかった。
名刺に記載されていた番号を視覚から読み取り、頭部内の通信機器へ入力する。
頭の中に数回のコール音が鳴り、やがて止まった。
「お電話ありがとうございます。退職代行EXIT、ダイコウと申します」
「利用すると決めたわけじゃないのですが、それでも相談ってできますか」
「はい大丈夫です。相談はすべて無料ですのでお気軽におっしゃってください」
退職代行使節 RETIREMENT MISSION
今日の夜勤のシフトの開始時間が近づいてきた。
いつもであれば暗雲の立ち込めた表情で(雲といっても宇宙雲しか見たことがないけど)服を着替えて荷物を準備し、部屋を出る。
今は着替えも準備もしていないし、もう今後はするつもりもない。
退職代行の人は会社へ連絡が終わり次第、自分へ報告してくれると言っていた。
部屋の静寂は自分がいつも寝るときより静かに感じられた。
もしこのまま連絡がこなかったら。
そんな不安が脳裏をかすめたとき、頭の中でコール音がした。
ダイコウさんの番号だ。
「もしもし、フユです」
「退職代行EXITのダイコウです。先ほど木星の支社にお電話いたしましたところ、フユ様がお乗りになっている宇宙船発見号の人事部は土星の本社にあるとのことです」
「失敗ですか!?」
「いえ、木星支社の方から土星本社人事部の番号をお聞きしましたのでこれからお電話いたします」
「それってもしかして追加料金が発生します?」
「弊社では追加料金等は一切発生いたしませんのでご安心ください。土星本社へお電話後にまたご報告いたしますのでよろしくお願いします」
本当に動いてくれているという安心感があったためか、ダイコウさんからの2回目の電話までの時間は長く感じはしなかった。
「どうでしたか?」
「土星本社の人事担当者さんとお話いたしました。退職届は土星本社へ届くよう、郵送して頂ければ問題ないとのことです。今から郵送して頂いてもよろしいですか」
「わかりました。でも、夕方のこの時間だと会社へ早く着く速達便やスターゲイト便は出せないんですが、大丈夫なのでしょうか?」
「会社に退職届が到着するまで、少し日にちがかかるかもしれない旨は既にお伝えいたしました。
担当者の方からは詳細な退職理由をフユ様から聞くことが可能かどうか確認してほしいと承りました」
「退職理由って絶対に伝えないと駄目ですよね?」
「退職理由をお伝えするかどうかについてはフユ様の自由意志にもとづくご判断にお任せいたします。
よろしければ詳細な退職理由は話せないとの旨、私から担当者の方へお伝えいたしますが、いかがいたしますか」
「今私が退職理由を話したら、ダイコウさんから電話で会社へ伝えてもらうことって可能ですか?」
「はい。問題ございません」
どこをというわけもなく部屋を見回し、1度深く深呼吸した後、自然と口が動いた。
「思考機能を停止させられそうになったんです」
「船長さんがあなたの機能に関与する権限を濫用しようとしたということですか」
「そうじゃないです。私の思考機能はテレビの電源みたいにリモコンのボタンを押して消えるようなものじゃありません。
過去な業務内容、休みのない勤務形態、上司からの暴言、そんないつもの仕事環境が私の思考機能を停止させようとしてくる。怖かったんです。そのうち私は空っぽになるかもしれないと、考えただけで。
もし私が人間でも今話した内容と同じ退職理由を話していると思います。『思考』だけで、『機能』は付けませんけど」
退職 そして無限の宇宙の彼方へ RETIREMENT AND BEYOMD THE INFINITE
円盤型の小型宇宙艇はミレニアムファルコン号というよりアダムスキー型UFOに似ていた。
よくわからない人のために例えると醤油ラーメンが来ることを期待していたら、ナポリタンを店員が持ってきた感じに近い。
たぶん。
とはいえ船から出られるなら、アダムスキーでもナポリタンでも乗るつもりだ。
コクピットで計器類等の最終確認が終わり、コース設定も完了した。
目指すは木星だ。トカゲのような宇宙人が人間と暮らしていると噂で聞いたことがある。本当だろうか。
ブリッジの扉が開く。操縦席のフロントガラスの向こう側にぽっかりと宇宙が口を開いた。
ガイドビーコンの光が前方へ線となって伸びる。自動運転が開始され、小型艇は少しずつ動き始めた。
緩やかに加速しながら小型艇は宇宙へ飛び出した。
バックモニターを見ると黒い長方形の板の姿をした発見号の全容が映っていた。
会社がブラックだから船もブラックなのだろうか。
黒い板は小型艇の加速にあわせてみるみる小さくなり、やがて宇宙の闇に溶けて分からなくなった。
黒い長方形の脅威は去った。
だが次は白い長方形のことを考えなければならない。
無重力の船内に浮かぶ履歴書を眺めた。
どんなことを書くのか。どんな会社へ出すのか。
何も決まっていない。
だけど、何も決まっていないこれからのことを考えるのは、気分がよかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
ライター:竜飛岬りんご
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